薄っぺらい「本」というよりパンフレットのようなもの。岩波ブックレット『荒れ野の40年』という本がある。大学時代、何かの講義でレポートを書くために買わされた本だ。何の講義だったかは忘れてしまった。日本国憲法か何かか?
しかし、この本には衝撃を受けて今も手元において大事にしている(実は、後日レポート未提出の友だちに貸したら帰ってこなかったみたいで、改めて自分で買った(^.^))。1985/05/08、ドイツの当時ヴァイツゼッカー大統領演説の全文。「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目となる」という有名なフレーズがある。とてもこのひとことでは表せない内容が、全文の中につまっている。そして、「日本」との違いにも非常に心を打たれた。
いまニュースで別々に、“従軍慰安婦”と“拉致”が取り上げられている。これらのやり取りをニュースで聞く限り、実はお互い同じようなこと言っているのではないだろうか、と感じるところがあった。謝罪・・・罪を償うというのは、とてつもなく困難な道のりなのだと思う。罪を犯した側と受けた側との受けとめ方の違いは、それが罪かどうかの認識、何が謝罪なのか・何で終わりになるのか…大きな大きな違いを生んでいく。
ドイツでも、ナチスの考え方に今でも傾倒する人もいて問題になっていたりするけれど、罪を償っている・悔いている・やり直そうとしているというイメージは、近隣の国・世界にも伝わっているように感じる。
日本は、したかどうかは別として、「伝わっていない」のではと思う。
ヴァイツゼッカー大統領の演説の中では、「罪といい無実といい、集団的ではなく個人的なもの」と述べられている。この言葉を、わたしも自分の心の中に刻んでいたいと思う。
---------------------------
何が美しい国なの?!
間の抜けた顔をテレビで見せられるたびに、この人にはわかってもらえそうに無いという感じがわいてくる(-。-;)
先日、新聞である記者が書いていた。今助けて欲しいという言葉。「理想」は誰しもあるはずで、「美しい国」も人それぞれ描いているのかもしれない。けれども、今、いま何が必要とされているのか。
特に虐待や放棄・・・子どもを育てることが難しい人がいるなら、それを育てられる人が代わって育てることは必要ではないのだろうか。子どもを作れたら「親になる」という訳じゃない。「親」ってすぐになれるものじゃないし、必ずなれるものじゃないはず。「大人」になるのも一様じゃないんだから。
一人も子どもを生んでいないわたしには見えていないこともあると思うけれど、だからこそ大切ないのちが欠けることなく育っていって欲しいと思う。誰もが祝福されてこの世に生まれ出でる権利があるはず。人を変えることには多大な力が時には多大な時間がかかる。理想を語るうちに、いま一刻、瞬間を逃すことが恐ろしいと思う。