“腰にイイ椅子”が自分には必要だとこの数年思っていて、やっと買う気になりました。「アーユル・チェア」不思議なかたちだけど、いい感じです(≧∇≦)b
“痛いほどわかる”
本当にわかるだろうか。誰かの状況や気持ちを見聞きすることはできても、それを自分のものにすることはできない。カウンセリングではその人を理解するために、その人が見ているように見ることを目指すけれど簡単ではないし、“できていないかも”“本当にこの理解であっているか”自分のとらえ方に絶対はないことを知り、常に相手に確かめながら寄り添うことを目指していく。
同じように見えても同じことを体験しても、その人のとらえている状況や感じている気持ちは一通りではない。ものごとの見え方や感じ方はその人だけのもの。
たった一人の人に向きあう中でも共感することは難しい。ある瞬間にはあっているようでも、時に外れることもある。わからないことはわからないと認めたい。“外れているかもしれない”けれどできる限りその人のとらえ方を理解したい。“自分と相手は違う”人は皆この世に唯一の存在だからこそ、理解しようと努めたい。
不特定多数の人に対して使える言葉ではないのでは…
違和感の正体はそこなのかもしれない。