あと1回、最終日を残す。今年の産業カウンセラー養成講座。
ここにきてぐぐぐと力をつけてくる人、自分の弱いところに気づいたけれどそこから脱却するのに苦しむ人、まだ来談者中心療法の傾聴への理解がすすまない人、さまざま。
自分のことも振り返って、同じところで苦しんでいる人を見ると、あと一歩踏み出せば・・・辺りがぱーっと開けてくるはずなんだけど、、、と自分も苦しくなる。大丈夫、と励ましてみても力にはならないかもと思いつつも、やっぱりやってしまう。背中を押したくなる。
”傾聴”の意味、”傾聴”の力に出会っていない人には、果たして私は何ができるのかほんとに自分も苦しくなる。一日終わると、「あの時、あの一言をとらえてもっと聞いて、自分の言葉で話してもらったらよかったかなあ」と気づいたり、今日はまた自分が語りすぎたかなあと反省したり。なんで、いっつもその場で気づかないんだ!!!!と自分に怒る日々。
自分で思い、考え、悩まないと理解なんてできないわけで、悩んでもらうためにボールを渡したい。そのボールがなかなかうまく投げられなくて、苦しいのだ。
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どんなに理解ができていて、スキルのある人でも、ちょっとした心のスキにつまづいてしまうみたいだ。自分の知っていることを伝えたい、今ここをわかってほしい、そして自分を認めてもらおうとする心が働くみたいだ。
その前にやっぱり”相手のことを考えること・感じること”なんだと、気づかされる。
人はそんなに簡単に変われない。だってその姿でずーっと生きてきてるんだもん。”嫌だ、変わりたくない”をキャッチしたとき、それを尊重することが大切なんだなあと感じる。
何もかもオープンで、開放できる人には、開放できない人の気持ちはやっぱりわからないんじゃないか。たぶん、開放したら楽になる・オープンな人が理想の人だってことなんだろうけど、わたしはやっぱりそうとばかりは思えない。
オープンな人もいていいけど、オープンじゃない人もいていいじゃない。いろんな人がいて、いろんな関係があって、そういう中で生きていくのが人生なんじゃないか。おもしろいんじゃないか。