時間が足りなかったり、相手を気遣ったりなんかして、言葉を飲み込んでしまうことがある。そんなこと全然ありえない!と思う人もいるかもしれないけれど、私にはそういうことが時折ある。
本当はもう少し言いたいことがあったり、たくさん聞いてもらいたいことがあったりするのに、しっかり伝えられずに気持ちが残ることがある。
時には言えなくてよかったってこともあるし、まあまた今度でいいかーと思える時もあるし、あぁ言い残したと沈んでしまう時もある。
口にしないことを選択するのは自分自身だから、長く気に病むことは無い。
沈んでいくと、考え込んだり悔やんだり、そうすると何か腹が立ってきたり(自分や相手や環境や…)。腹が立つ、頭にくる、怒!という感情は向き合ってみると結構面白い。何で頭にくるのか。理由が分かるとちょっとすっきりする。
そして私の場合、自分は怒りの感情を殺しちゃう性質なんだなーなんてことが見えてくる。その根本的な訳はともかく、怒りの陰には悲しさやさみしさや悔しさなんかが眠っている。そこのところを相手に伝えることができたら楽になる(よーく解ってきたけれど、わかるだけではまだ問題解決にはならない!)。
伝えるチャンスをつかみたい。伝わる相手に語りたい。
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「腹が立つ」つながり?で、もう一つ。
昨日夕刊を見ていたら、男性のトイレ使用形態のお話が提起されていた。(立ちか座りかってことです!)友人の家でも、トイレには紙が貼ってあって男性にも「座って」とお願いしてある。素敵なトイレなのだが、壁紙が防水ではないので飛び散ると非常に困るらしい。
夕刊記事は、要するに男らしく「立ち」ションしよう!みたいな感じだった。妻から言われて「座り」でいいのか、子供の時から「座り」だとどうなるとかいうようなお話も。取材先で「拭けばいいことでしょう」と言われて、激しく同意する記者。全体を読んでみたけれど、なんだか腑に落ちない。記事自体は面白いと思うのだけれど。
ちょっと考えてみて、「飛び散らせたらその場で拭きましょう」「妻に代わってトイレ掃除を男がやりましょう」って書いてあったら納得するのかもと思った。洋式便器が当たり前になってきて、男性には不便もあるのかなあと思うけれど、「拭けばいいこと」なら、ぜひすぐ拭いてほしいな~と思うのはおかしいんだろうか。
ちょっぴり腹立たしいような感じもしたけれど、よく考えるとかわいそうな感じもする。「座り」が嫌だと感じる人には、拭いたり掃除したりするのも多分嫌な感じがするんだろうなあ。ふふっ(^△^)何だかおもしろくなってきた。