人には計り知れない力があることを、目の当たりにしました。
一方で自己の利益の前には、他の存在をかえりみない人間の存在もあることを知りました。
罪を「許す」ことができるでしょうか。被害を「試練」と受けとめるべきなのでしょうか。悪いことをした人には、罰があたるはずだと思い、いつか災いあれと願ってしまう私がいます。
罪への意識の違い?謝罪は償いは誰のため?何をもって被害は終わる?何をもって罪は終わる?
やはりそこに、一人ひとりの価値観の違いがあり、「理解」を妨げているようだ。
そして、気づいて手を尽くしても制度でカバーしきれない部分があるのだろう。その隙間を埋めてく心があれば、そこで救われるはずだ。心ある人になりたい。
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許されて生きているのだ。だから「許す」のだけれど・・・
許せないという憤りが、人を尊い行動に突き動かすこともある。怒りは原動力になる。怒りの方向を間違えないでいれば、その力が大きなものを動かす力になるんだ。